東大物理学科教授 山本智先生の寄稿 第二章その2
自然にはわからないことがたくさんある。それは自然が無限の可能性を持っていることの裏返しである。ひとつが解決しても次のわからないことが生まれてくる。研究は受験問題集の問題を解くことではない。回答はおろか、問題も設定されていないのだ。意味ある問題を見つけ出し、その解決方法を考え、実験や思考をつないでそれを解決する。小さなことでも、新しいことを発見したときの喜びは言葉にできない。真っ暗闇の中にいてうごめいているときに、急に明かりが差して周りが見えてくるようなものだ。「そうだったのか。」その一瞬の感激のために、研究者は研究を続けているといってもよい。
それじゃあ研究って自己満足?そう、開き直ってしまえば、ほとんど自己満足と言ってもよい。少なくとも自己満足は必要だ。特に理学の研究の多くは、すぐに何かに役立つことを目指しているものではない。自然の見事な仕組みの一部を解き明かすこと自体が目的である。自分が本当に感激する発見であれば、他の人も感激する。それだけ意味の大きいものなのだ。それだけでなく、地道な自然に対する理解の積み重ねが、あるときに、大きなイノベーションとなって私たちの社会に還元されることがある。物質の電気伝導の理解を通して、半導体の概念が生まれ、それからトランジスタ、ICの発明を経てIT社会につながった。このような例はたくさんある。応用とは別にしても、物質、時間、そして生命の起源の探究は、私たちの自然観、人生観を豊かにしてくれる。
研究はまず自己満足が必要だが、その成果は、常に無限の発展の可能性を秘めているのである。