東大物理学科教授 山本智先生の寄稿 第一章その2
それからが大変だった。望遠鏡を作るために、経費の工面、環境庁(当時)や気象庁などの国の機関との交渉、その他、建設会社、ヘリ輸送会社、電気工事会社やそれらの下請けさんに至るまで、いろんなところを駆けずり回った。普通の人からみると、とても研究者がやる仕事ではない。でも、当時、自分が見たいもの、知りたいことのためには、どんな世界にでも入っていくような若さがあった。熱意は人の心を動かすものである。結果として関係したすべての人たちが助けてくれた。そのおかげで、6年かけて望遠鏡はできた。
できたはよいが、本当に炭素の信号は受信できるのか。設置直後に台風に見舞われ、扉が吹っ飛ばされる事故もあった。若い人たちの努力で、ようやく観測ができるまでに漕ぎついたが、なかなかいい結果が出ない。不安だった。夢には責任もついてくる。研究とはいえ、莫大な経費を使っている。やっぱり出ませんでしたではすまない。そういう激しいプレッシャーの毎日だった。だから、炭素のスペクトルが洪水のように受信できたときは、本当に嬉しかったというか、ほっとした。そして、その意味するところの大きさを噛締めた。
富士山頂サブミリ波望遠鏡はそれから7年の運用期間で目覚しい成果をあげることができた。炭素原子の分布をかつてない規模で明らかにし、分子雲の形成過程を捉える成果を挙げた。その中で、7人の大学院学生が、博士の学位をとって巣立っていった。また、富士山頂サブミリ波望遠鏡はわが国におけるサブミリ波天文学創生の嚆矢ともなった。その成果は、日本、北米、欧州で共同建設を進めている巨大電波干渉計(ALMA: Atacama Large Millimeter/submillimeter Array)につながっている。2012年に動き出すこの大望遠鏡は、新しい星のまわりで惑星系が作られる様子を克明に捉えるであろう。